2010年12月31日金曜日

ゆく年くる年

2010年も今日で終わり。
皆さんにとって今年はどんな年だったでしょうか?

私は今までの人生の中で、とても中身の濃い1年だったように思います。
しかも全てこの1年、モンゴルでの生活。
長かったようで短かった。

今年の初めから『To Doリスト』を作成し壁に張り付け、
毎日のように『今日もやるぞ!!』と自分に気合を入れやってきました。


その『To Doリスト』の項目24個。
(例えば『看護技術セミナーを行う』『モンゴルの医療事情を発信する』『活動先において必要な物品を揃える』などなど・・・)

全ては達成しませんでしたが、
半分以上の17項目を達成することができました。

ですが、まだまだやれたのではないか!?と思う節も。
こう思ってしまうのは日本人のクセでしょうか(笑)

文字にして常に目に見えるところに貼り、声に出す。
これは私にとってかなり効果があったみたいです。

来年も常に『挑戦』できる人間でありたい。

大人になると『挑戦すること』が少なくなってくる。

だって転ぶのが嫌だから。転ばないように注意しているから。

いつから大人は転ぶ事を忘れたのだろう。

子供は転んでなんぼ。

転ぶ事なんて恐れない。

沢山転んできたから成長する。

だから転んでも起き上がればいい。

そう、簡単なこと。

それに気付かせてくれたモンゴルに感謝。

そんな私を応援し、支えてくれたみなさんに感謝いたします。

2011年、実りある素敵な年になりますようにヽ(´▽`)/

2010年12月30日木曜日

返却お断り

今年10月・12月と、心をこめて送った妹・友人への誕生日プレゼントが、
なんと日本からモンゴルへ舞い戻って来た(@@)

▼写真では伝わりにくいですが、かなりボロボロ・・・封筒が破けてた(><)


なぜ?なぜだ?

しかも『住所不定』『本人不在』という理由。

しかし妹・友人に尋ねたところ、不在通知なんて1枚も入っていなかったという。

住所もしつこいくらい確認。
どう確認しても合っている。

なのにどうして!?
アフリカだったら分かるけど、こんなに近い国同士なのにぃっ(怒)

海外から送っているんだから、
もう少し頑張ってください、日本郵政!!

前回、職場の同僚に小包を送った際、
モンゴリア様から小包が届いています』・・・といった不在通知が入っていたそうだ。
同僚、一瞬『あやしい・・・』と思ったらしい。

モンゴリア様って誰だよぅっ!!

差出人もきちんと書いているんだから、しっかり読んでくれ!!

日本郵政の怠慢と思わずにはいられない、大晦日前日。

いかん、いかん、シワが増える!
明日は大晦日。笑って過ごしたいと思いますヽ(´▽`)/

2010年12月29日水曜日

久しぶりにドキドキ☆凄いぜ・バガノール!!

なんと昨日、 バガノール通信局にてクリスマスプレゼント『抽選会』がありました!!
(ここで言う”通信局”とは、バガノールに住んでいる人達の固定電話やケーブルテレビ・インターネットを担っている局です。)


先日、通信局に電話・ネット代を支払いに行った際、こんな紙を渡されました。

抽選番号が記載された紙に、 名前・電話番号を記入。


『28日の21時にテレビで抽選会やるからね!』と教えてもらい、
きっかり21時、テレビの前で待っていました。

しかし、待てど暮らせど始まらない・・・。
そこがやはりモンゴル。


▼ですが、30分遅れで抽選会が始まりましたぁ~っ!
 

テレビや掃除機、ピカピカのお鍋やフライパン、アイロン等々、豪華商品が当たるとあって、
30分の遅れも気にしない、気にしない(笑)

▼バガノール・ローカル番組で抽選会が放映!!
(これってすごい事だと思いませんか?公開抽選会ですよ!?

さすがモンゴル!やることが粋です(≧∇≦))


透明スチールの中にぎっしり詰まった抽選用紙!
子供が1つ1つ、用紙をスチールの中から取っていきます。

▼私の抽選用紙を引いて~(≧▽≦)♪♪  ▼おまけにこのゲスト達は誰っ!?(笑)
  

そして抽選番号を発表!!


『どっ、どうしよう、当たったら・・・』

めちゃくちゃドキドキしながら、抽選番号を真剣に聞き入る。


『最初の当選者は・・・
おめでとうございます!!抽選番号○×△!!○○さんです!!』

▼引いた抽選用紙をカメラに近付けるおねぇさん。
名前やら電話番号やらが丸見え!!個人情報なんておかまいなし!!
日本ではありえない光景です(笑)


『あぁ~~、外れちゃった・・・』


『さぁ~、見事素敵な商品を当てた○○さんに電話してみましょう~』

『えぇ~~~っ(@@)電話かかってくるのぉ~!?』  

▼電話をかけるおねぇさん


もし、もしも自分の名前が呼ばれたらどうしよう・・・
きちんと喜びの言葉を言えるようにしておかなきゃ・・・(@@)


妄想力の高い私は、当選した時の映像がすぐ頭に沸き、ひたすら喜びの言葉を反復。

しかし待っても待っても、私の名前が呼ばれない。

気付けば、抽選会があっという間に終わった・・・ちーっん・・・


今までの人生、宝くじやくじ引きで大きなものを当てたことがない。

強いて言えば、子供の頃大好きだった『キャンディ・キャンディ』の作者、

五十嵐 ゆみこ先生の直筆サイン入り原画が当たったことくらい。

(この時は飛び跳ねて喜んだな~)


くじ運って生れ落ちた瞬間から決まっているのだろうか。

ま、外れたにせよ、このドキドキは久しぶりの感覚でした( ´ー`)ノ

2010年12月28日火曜日

救援物資 ~おとんと私と時々おっちゃん~

とうとう来ました!

無事に先週、バガノールにおとんからの大量の愛(食料)が(笑)

総量11キロ!!

▼お餅4キロ、パスタ、ラーメン、干し芋、お菓子・・・などなど盛りだくさん!!(@@)


郵便局から自宅まで10分。

しかし、5分もしないうちに荷物を持つ手が震えだした(><)
外気温マイナス35度。さすがに手が応える。

『はぁ、はぁ・・・家が遠く感じる・・・つ・・・辛い・・・』

道端でうな垂れていたら、

『おうっ、嬢ちゃん大丈夫かいっ!!』

とっさに11キロの荷物を持ってくれた通りすがりののおっちゃん。
しかし!!年末だからか昼間から酔っている・・・。
酒臭い・・・。

でもあまりの重さに『怖い』より『んじゃ、おっちゃん、お願いします!!』という気持ちの方が勝った。

玄関先まで重い荷物を酔いながらも運んでくれたおっちゃん。

でも、おっちゃん、帰ろうとしない

でも、さすがに『お礼にお茶でも・・・』と家に上げるのは怖い。

『あ、ありがとう!!おっちゃん!!あなたのお陰で助かった~!!』と満面の笑顔でお別れを言う。

しかしおっちゃん、帰らない。

『おうっ、嬢ちゃん!オレはねぇ、バガノール区のお偉いさんをしているんだ!!
うちの娘を知ってるか?オユーナってんだ!アハハ・・?☆?♪?■○▼』

おっちゃん、呂律がまわってない・・・。

お偉いさんかは分からないが、七福神のエビス様に似てる。
悪い事はしなさそうな風貌。

▼ちなみにこ~んな感じのおっちゃん


いや!!でも、やっぱり家には上げられない。

咄嗟に名刺を渡して自己紹介。

『あやって言います!!JOCVとして病院で働いています!!何かあったら電話下さいな!!』

『お~~っ、そうかぁ!!分かった!!じゃぁな!!いい年末を!!』

はぁ~っ、おっちゃん帰った・・・

でもその名刺を読みながら、
『あ~や~、あ~や~!!』とでっかい声で階段を降りて行った。

どうしよう・・・思わず名刺渡してしまったけど。

ですが現在、イタズラ電話もなく、家に押しかけて来ることもなく経過中。

おとんと同じくらいのありがとうをおっちゃんに・・・( ´ー`)ノ☆

2010年12月27日月曜日

モンゴルの床ずれ事情~続編~

先日書いた『モンゴル床ずれ事情』

なんと!!あんなに硬かった皮膚が柔らかくなった!!!
・・・と言っても仙骨部の褥瘡だけでしたが。

早速外科外来の看護師から外科専用のハサミを借りて、
壊死した皮膚を除去してきました!

▼前回の仙骨部             ▼今回除去できた仙骨部
 

医療職ではない方、衝撃的な写真ですいません。
ですが人間、寝たきりで適切なケアが受けられないと簡単にこのような状態に陥ります。
なのでこのような状態にならないために『予防』が絶対必要なのです。

やっと壊死部分が除去できた!・・・と思いきや、新たに褥瘡が増えていました(@@)
これほど悲しい事はありません。

▼右足の褥瘡


▼左膝の褥瘡


栄養状態が悪いのもあるけれど、やはり家族のケアが問題。
何度も分かりやすくケアの説明をしたのですが。
本来なら、毎日、いや2日置きにでも家族病院の看護師と訪問できるのがベストなのですが、なかなか毎日とはいきません。

家族病院の看護師達はとにかく仕事量が多い。
診療に来た患者さんのカルテさばきからはじまり、
医師の診療介助及び点滴・注射。
さらには自分の受け持っている在宅患者・新生児の訪問。

中央病院でもそうですが、『看護師は注射・点滴をする人』と言った位置づけ。
入院患者のケアは殆ど付き添い家族にまかせっきりな時が多々あります。
なので退院後も家族まかせのケースが多い。
だからこういった褥瘡患者が出てきてしまうのです。

在宅は在宅で独立した部門があれば、
もっと手の行き届いた医療を提供できるのに。
(まぁ、そのためのシステム設立、管理の徹底及び技術移転等も必須になりますが。)

モンゴル医療事情。
家にこそ沢山の問題が埋もれていると思わずにはいられません。

2010年12月26日日曜日

初☆執筆 《第2・3弾》

10月にブログで書いた『初☆執筆

その11月号・12月号がモンゴルに届きました!!

▼11月号はなんとページをめくった途端、
『モンゴルの医療事情』の見開きページが☆(≧∇≦)


ビックリしたけれど、と~っても嬉しかったヽ(´▽`)/
早速産科の師長に見せたら、『あら~!素敵!』と喜んでいました。

更には12月号。

▼東京・練馬で行ったハワリンバヤルの記事


▼募金活動に快く協力してくださった方達の写真が掲載!!


この執筆は、みなさんの協力があったからこそ書けた記事です。
感謝できる人達に恵まれ、大変実りある2010年を送ることが出来ました。
本当に、本当にありがとうございます。

2011年、みなさんに素敵な風が吹きますようにヽ(´▽`)/

ODAメールマガジン(198号)

今月22日、外務省HP “ODAメールマガジン” 私の執筆した『ハワリンバヤル』の記事が掲載されました!!

本来であれば今年の9月、
JICAが毎月発刊している『クロスロード』に掲載されるはずだったのですが、

掲載間近で『やはり載せられません』とう奇奇怪怪な返答が本部から来まして・・・。

文章を書くのが不得手な私。
しかし、みんなでやり遂げた事を是非記事にしたい!!
そんな思いを汲み取ってくれたJICAクロスロード編集本部。

何日も何日も書いては消して、消しては書いて。
血を吐く思いで書いた原稿をたった一言でなかった事にするつもりかぁっ!?

普段は穏やかな私でも、この時はいかんせん怒りがおさまらなかった。

理由が理由だったのもあるが、

何よりもハワリンバヤルで協力してくれた隊員との連名で発信(=掲載)したかった。

だって一人では決して出来なかったから。

しかしそんな私の気持ちを汲んでくださった、O調整員。
O調整員の計らいで今回ウェブ上で掲載されることにヽ(´▽`)/


実行委員のみんな!

みんなの名前が掲載されたよ!!


私、涙がでた。

2010年12月25日土曜日

『応急処置セミナー』 in スフバートル

先週末、同期(体育隊員)がいるスフバートルへ行ってきました!!
目的は体育教師達に正しい『応急処置』を知ってもらうため。

なぜならば、モンゴルの応急処置は不思議な事だらけ。
例えば鼻血が出たらみなさんどうしますか?

先ずは小鼻をしっかりとつまんで止血しますよね?

モンゴルは面白い。

例えば右鼻から鼻血が出たら、反対側の左手を上に挙げて手を振るんです。

一体なんの根拠があるんだ!?(@@)

突き指の時もひたすらひっぱる。
これはつき指の際の禁忌処置。

このように間違った応急処置を目の当たりにした同期のAちゃんの依頼により、
出張セミナーを開催したのです。

集まったのは同職のNちゃん、理学療法士のUさん。
そして同期のAちゃん4人とでセミナーを行いました。

▼演劇をしながら、『この処置はあってる?』と体育教師達に問いかけます。


『あってると思った人は立ってくださ~い!!』

▼『あっ、あってるかなぁ・・・?』『あってるだろ~!!』とみんな周りの様子を伺ってます( ´ー`)ノ
 

正解を当て、満面の笑みで喜んでいるモンゴル人を撮影しようとしたところ、
残念な事にデジカメの充電切れ・・・。
つめが甘くてすいません(><)

ですが最後まで笑顔交じりで行う事ができたセミナー。

PCが動かない!!・・・というトラブルもありましたが、
モンゴル歴1年半。
そんなトラブルにも動じずに進行できた事が凄かった(笑)

みんなで何かをやるって本当に素敵な事。
しかも今回は他職種隊員同士っていうのがミソ。
まさに『ザ・協力隊!』って感じでした( ´ー`)ノ

同期隊員Aちゃんが活動先の人達に歩み寄り、絶え間ない努力をしている事。
だからこそ意見を取り入れようとセミナーに多くの体育教師達が集った。
Aちゃんがみんなから信頼され・愛されているという事が知れたセミナーでもありました。

各任地でみんな頑張っている。
私もみんなに胸を張れるよう、残り半年踏ん張らな。

2010年12月18日土曜日

懐かしい1枚

年末掃除の際に出てきたこの1枚の紙。
JICA二本松訓練所で大変お世話になった、
モンゴル語教師・ナラン先生が書いてくれたものです。(勿論全てオールモンゴル語)

▼一人一人の語学試験のコメントを記載したもの。
(確かそうだったような?)



もらった時は殆ど意味が分からなかったのですが、
モンゴルに来て1年半。

全部、意味が分かる!!

これって凄い事だと思いました。

『モンゴルに行くこと、二本松に来た時のことを彼女と話しました。
そしてバガノールに行ってからやりたい仕事など。
モンゴル語もよく出来て、分かりやすく話す事が出来ていました。
中でも彼女の生まれ故郷についての話がとても面白かった。

モンゴルに行った際は、看護師たちに清潔・不潔の取り扱いをはじめ、
自分が知りえる全ての看護技術・知識を提供したいと思っている・・・との事でした。
これに関してはとても必要なことだと思います。
感染症が多いとも言われていることから、その感染を少しでも防ぐべく、
地域住民にもセミナーが開けたら・・・という彼女の考えはとても正しい意見だと思います。
とりわけ医療は専門用語が多く難しいと不安に思っているようですが、
彼女はちゃんと理解しているし、発音も綺麗。

このクラスの子たちはみんなモンゴル語が上手でよく勉強しています。
私はとても嬉しく思っています。

                     ナランツェツェグ   』

ここまで来れたのは、ナラン先生の指導があったからこそ。

残りの任期、あと半年。
引き続きモンゴル語の勉強を怠らないようにしたいと思います。

毎日最低30分は単語の勉強するぞ!!

そして今日からスフバートルという
モンゴルとロシアの国境に位置する街へ行ってきます。
そこで活動している同期隊員(体育教師Aちゃん)と共に
『応急処置』セミナーを行う予定です。

初めてのスフバートル。楽しみながら頑張ってきますヽ(´▽`)/

2010年12月17日金曜日

世界の笑顔のために in バガノール

去年から申請していた8台の『障害児専用の車椅子』。
先月やっと、やっとバガノールに届きました!!!

バガノールには現在障害児が71人います。
その中でも車椅子が必要な児は26人。
しかし今まで出会った障害児はたったの10人。
モンゴルに来て1年半が経ちますが、
まだまだ知らない現実があることを感じずにはいられません。

そんな中、車椅子がない事で外にも満足に出ることができず、
自宅で寝たきりの生活を強いられている障害児達。
リハビリが必要なのに、治療が受けられずどんどん身体は拘縮してゆく。
そんな子供たちに外の世界を知って欲しい。
バガノールの地域住民の障害への理解を少しでも促進させたい。

そんな矢先、去年『世界の笑顔のために』プログラムが舞い込んできました。
このプログラムは日本で支えてくれる提供者の善意によって成り立っており、
『学校教材』『スポーツ用品』『手芸用品』『車椅子等の福祉関連用具』等を
発展途上国のためにと無償で提供していただけるもの。

ですが誰かれ構わず提供していただけるものではなく、
『提供者への申請⇒要望調査票の記載⇒採択』の一連の流れを通らないといけないものなんです。

ですがその申請が去年、幸いにも採択されたんですヽ(´▽`)/

バガノールに到着後『譲渡』という形にはせず、『貸し出し』形式としました。
なぜならば現在車椅子が必要な児は26人。8台では到底足りません。
子供の成長に合わせて、適した時期に・適した車椅子が平等に使えるようにしたかったから。

早速、家族病院の院長と共に個々にあった車椅子を貸し出す巡回作業をしてきました。

▼いい笑顔☆
 

 

巡回の際、

『車椅子が来たことはとても喜ばしいこと。本当に感謝します。』

『今まで座る事も出来ず、外にも満足に連れて行けなかった。
だけど今日からこの車椅子があれば座る事も出来るし、
外の世界を見せてあげる事が出来る。本当に有難うございます。』

・・・という感謝の言葉を頂き、笑顔が絶えませんでした。

後の管理としては、
家族病院院長及び社会福祉部部長に担ってもらう事になり、
車椅子には通し番号をつけ、『貸し出し名簿』を作成。

家族病院院長はその貸し出し名簿を元に、6ヵ月毎の監査。
社会福祉部部長は1年毎に監査するといった規定を設け、
私達が帰国してからもきちんと彼らが管理できるようサポートしてもらうように関わりました。

これからも沢山の笑顔が増えますように。

提供していただいた特定非営利活動法人『ニンジン』代表 槙 ひさ恵 様。
首都からの運搬にご尽力いただきましたJICA事務所の方々。

本当に有難うございました!!

2010年12月16日木曜日

素敵な来蒙者

昨日、素敵な方達と夕食をご一緒することになりました!!

▼オシャレよりも防寒優先で来てしまった私。
モコモコズボンで恥ずかしいですが・・・(><)


その方は東北大学大学院医学系研究科・微生物学分野で活躍されていらっしゃいます、押谷 仁 先生。
そしてその大学院の院生である なおさん。
更にその押谷先生のカウンターパートでもある、
首都の国際インフルエンザセンターでご活躍のブルマーさん。
(真中の男性が押谷先生。一番左がなおさん。1番右がブルマーさん。)

押谷先生との出会いは去年の今時期。
ふと入ったレストランで偶然お会いしたのがきっかけでした。

押谷先生は『SARSと闘った医師』として、
世界保健機関(WHO)西太平洋事務所の感染症監視・対応地域アドバイザーとして、2003年に大流行したSARSの封じ込めの最前線に立ったウィルス学の専門家であり、微生物学分野ではとっても有名な方なのです。

保健師U隊員は、
『物凄い有名な方。雲の上の存在!!そんな方とお会いできるだなんて嬉しい!!』・・・と大興奮でした( ´ー`)ノ

実はそれだけ有名な方だと知ったのは最近になってから。
来蒙まで数回押谷先生とメールのやり取りをさせていただいていたのですが、
何も知らなかった私はフランクなメールを送ってしまっていて。

無知とは恐ろしい。
感染症病棟で働いていたのにも関わらず・・・。
恥ずかしさと同時に反省です(><)
もう少し視野を広げて情報を得ていかないといけませんね。

モンゴルは去年、新インフルエンザで多くの人達が命を落としました。
そこで、モンゴルにおいてのインフルエンザ感染状況を調査すべく、
先生達は数回モンゴルを訪れ研究しています。

実は先生、つい最近まで仕事で気温30度のフィリピンにいらしたのだとか。
モンゴルは現在-30度。
この60度差は驚きです。

世界を飛び回り、お疲れにも関わらず終始笑顔だった押谷先生、なおさん、ブルマーさん。

またお会いできることを楽しみにしています!

素敵な出会いに感謝☆

2010年12月13日月曜日

モンゴルの床ずれ事情

先月の事。

突然看護部長から、
『明日、褥瘡(床ずれ)ケアのセミナーを家族病院の看護師達にしてくれないか。』と言われ、
『さすがモンゴル。明日かぁ・・・』と内心焦ったものの、
これはチャンス!!と思い実施しました。

なぜならば、モンゴルでは間違ったケア・処置によって重度の床ずれになってしまうケースが多いからです。

ちなみに家族病院とは日本で言えば『診療所』にあたります。
我がバガノールには4つの診療所があり、管轄地区にて1次医療を担っています。

そんな褥瘡(床ずれ)セミナーを行った数週間後、
家族病院の看護師長から1本の電話がかかってきました。


『あや、今在宅で褥瘡(床ずれ)の患者さんがいるのだけど、

ケアをどのようにしたらいいのか分からないから一緒に行ってくれないか。』

こういった連絡が1つあるだけで、

自分の行っている事が少しずつ受け入れられているんだ・・・と思い救われる。

その一報は、私にとって物凄く嬉しい連絡だった。


しかし実際に行ってみると、物凄い数の褥瘡。

両肩・背部・臀部・両大転子部。全て真っ黒の硬い皮膚に覆われいて、
ケアというよりも処置を要する段階。
臀部は表皮・真皮を含む皮膚欠損、皮下脂肪にまで及ぶ褥瘡。

▼ここまで放置させ
てしまう現状がここにある


83歳のおばあちゃん。8年前に脳出血で倒れ、それ以来寝たきり。
なんでこんなにまでなってしまったのか・・・。

壊死し、硬くなった黒い皮膚は専用の薬剤で溶かし、

外科的に除去しなければならないのですが、

モンゴルには日本のように『床ずれ専用の薬剤・ドレッシング剤』がありません。


悲しくなるくらい・・・
ない。

だからこそ『予防』が必要になってくる。

でも、今は『予防』どころじゃない。
『治療』が必要なのだ。


皮膚を溶かす薬がないのなら、どうやって溶かすか・・・。

溶かすのは難しくても、柔らかくする方法はないか・・・。


その場で判断しなければならない。

先ずは丁寧に微温湯で褥瘡を洗浄。

▼師長さんと洗浄


勿論
族にも見てもらって、毎日洗うよう指導する。

洗浄するシャワーボトルがないため、
ペットボトルの蓋に穴をあけてシャワーがわりにしました。


臀部の褥瘡は皮下脂肪にまで達し『むき出しの状態』なので、
洗うたびに『痛ーい、痛いよー!』と泣くおばぁちゃん。

痛み止めもないばかりか、褥瘡に塗布する薬さえもない。
貧しさのせいで必要な薬が買えない現状。

幸いにもモンゴルでは乾燥したところに塗るといいとされている
『ラクダの骨髄からとった脂』があり、 その脂を褥瘡に塗布。

褥瘡に脂をかぶせる


ガーゼを置く事で更に褥瘡を乾燥させてしまうので、
空気は通すが水分は逃がさない『ラップ』を貼ろうと試みたが、
その家庭にはラップがない。


いや、バガノールでラップなんて見たことない。

考えること数分。


ゴミ袋を
褥瘡の部分に合わせてカットし、
ガーゼを覆うように貼り付けました。



ムレることによって、別の褥瘡が発生しませんように・・・と
神様に祈る気持ちで。

ムレは褥瘡にとって好ましくない環境。
でも、今はこの硬くなった黒い皮膚をふやかす方が最優先。

とにかく家族には毎日微温等で洗浄すること、最低2時間毎にひきずらないよう体位変換すること、栄養のあるものを食べさせてあげること、の3点を指導。

その帰り道、褥瘡に効く軟膏はないかと薬局を訪れた。

褥瘡の写真を見せると、

『これは難しいね』・・・と冷たく一言。

渋々棚から1つ薬を出してくれたけれど、
怪我をした時に塗る軟膏だそうで・・・。

治してあげたいのに、治すための薬がない。

だからって落ち込んでられない。

やれることの最善を尽くす。


おばぁちゃんの苦痛を少しでも取り除くために。

2010年12月11日土曜日

うちのおとん

私のおとん。今年で61歳。
還暦を過ぎた辺りから、どうも行動がおかしい。


《おかしい行動》

その1:出国直前、『これは送らないでいい荷物だからね!』と何度も
念を押したのに、その荷物を自信満々に送ってきた。しかも大ダンボール3つ分。(@@)

その中には以前住んでいた家の契約書、生命保険証書、履歴書、モンゴルでは着る事の少ない夏服等々・・・。
『いやぁ~、無事に届いて良かった!!』と誇らしげに言うおとんに対し、 怒るに怒れなかった(笑)

その2:炒ったコーヒーを飲むために、 ドリッパーを送って欲しいと写真付で携帯にメール。

『あやさん、ドリッパーというものがよく分かりません。 お店に行って聞いてきます。』

『えっ!?だから写真付で送ったじゃないっ。』(@@)

でもお陰さまで無事に2個、届きました。


その3:先日智ちゃん(私の妹)と買い物をした際、ネックレスを買ってあげました。
あやさんにもとお揃いで買ったので楽しみにしていてね。

その連絡があって既に3ヶ月。

未だにやってきません(笑)


その4:『最近、言葉がなかなか出てこない・・・。何かの病気か?』と連絡あり。

いやいや、おとん。よ~く喋れているよ(><)

その5:モンゴルは冬になると緑の野菜がぐんと減るので、青汁を送って欲しいと依頼。
10袋入りを3袋くらい送ってもらえると助かります♪と追記。


『あやさん、昨日銀座まで行き、指定の青汁を帰国に合わせて半年分購入しました。 あとはあやさんの好物も送ります。』

『はっ、半年分~~~~~?半年分って!?』

しかし待てど暮らせど荷物がバガノールに届かない。
すると首都の郵便局から電話が。

『日本から荷物が届いているが、中身をチェックしなければならないので、 急いで来い!!』

『ひっ、ひぇ~~~~~~~~~~!!!』


どうも半年分の青汁が、ゲートチェックした際に何らかの薬と間違えたらしい(><)

荷物を受け取りに行くために首都へ。

チェックも済ませ無事に受け取れたものの、
その荷物の送料が、なっ、なんと11キロ(@@)

中身は半年分の青汁の他に、餅5キロ、カレールー・シチュールー共に5箱、きなこ3袋、
砂糖1キロ、ボアシーツ、鰹節(ボーナスパック)、とろろ2袋、ゆかり5袋、 パスタ2袋、のり2袋、梅干1パック。
私の大好きな干し芋5袋、かりんとう7袋・・・。

もうビックリ(@@)

いや、これも初めてのことではありません。
今までおとんが送ってくれた救援物資、数えること6回。
全て10キロ超えの大入り。

前回は二層式洗濯機にはかかせない『くず取りネット』も10個入っていました。
便座カバーも送ってくれたのはいいのですが、『U字タイプ』。
残念ながら我が家は『O字』タイプ。悲しい事に使えない(><) 一言相談してくれればいいものを・・・。

そうなんです、いつも1つのものが大量なんです。

なので送ってくれた日本食材が未だに食べきれないのです。

更にモンゴルは手紙・小包・荷物全てが郵便局で止まってしまい、
日本のように自宅まで配送してくれるサービスはありません。 なので郵便局から連絡があったら、取りに行かなくてはならないんです。 それも何度も言っているんですが、毎回大入り(笑)

そんな矢先、今日おとんから1通のメールが。


『あやさん、本日今年最後の救援物資を配送しましたので、 受け取ってくれたし!』

あっ、赤紙だ~~~~~~~~~~ぁ(@@)

『どのくらいの荷物?』

『10キロだよ!また餅と干し芋、お菓子も入れておいたから堪能されたし!』

10キロのお菓子って・・・。


10キロのお餅とお菓子を食べて、私は牛のように丸々太っていく。

遠くからドナドナが聞こえる。
『ドナドナド~ナ、ド~ナ。子牛をの~せ~て~。』
私は家畜として売られていく・・・。

おとんの愛が重すぎます(笑)
元来、こういう人だったのかな?

でも、ありがたいことですね。

帰国したら、沢山親孝行したいと思います( ´ー`)ノ

JICAセミナー 2010冬~番外編~

先月JICAセミナーを行った際、
『活動紹介パネル』となるものを作成しました。
しかし、そこでやはり不安なのが自分で書いたモンゴル語。

そのチェックをしてもらうべく、
モンゴル人の友人に見てもらった時のこと。

『あ~、これはこう書いた方が分かりやすいよ。』

『あ、これもこう直した方がいいね。』

・・・と校正箇所が出てくる、出てくる(><)

しかし数枚の活動資料を見ていく中、

『あや、色々な仕事をしているんだね。モンゴルのためにありがとう。』
・・・と私に投げかけてくれた。

思いもよらない『ありがとう』だった。

JICAセミナー 2010冬

先月、ボランティア隊員が首都に集結し、
『JICAセミナー』と題しモンゴル人対象に6日間にも亘るセミナーを行いました。

目的として、以下3つ。
1) ボランティアの専門分野の知見を、配属先以外にも広くモンゴル人に伝え、モンゴルにおける当該分野の発展に寄与する。
2) 同職種、または幅広く、JICAボランティア間の連携を深める。
3) カウンターパートや配属先の同僚と共にセミナーを行うことで、当該者間の連携を深める。

構想期間、約半年。

JICAセミナー委員も並行して行っていたので、毎月首都に上京するのは正直大変でしたが、その分他職種のボランティア隊員との団結も深まっていいものが出来上がったと思っています。

任期中、こんな大きなセミナーをするのは最後。
欲張りな私は『応急処置法』『看護過程』の2コマを担当させてもらいました。

運命の11月24日。
午前中は同期の体育隊員と共にスポーツ紹介の後に『応急処置法』。
かなり楽しく行えたので、メンバー全員いい笑顔。

真ん中はモンゴルに来て初めてできた友人ナナ。今回通訳として頑張ってもらいました。


午後は看護系隊員による『看護過程』セミナーを開催。
『看護過程』
は、看護ケアを必要としている患者や病人に、その人に可能な限り最良で、最善のケアを提供するためにどのような計画、介入援助が望ましいかと考え、計画、行動していく一連の思考と行動の経緯のことです。

このセミナーを行うにあたり、モンゴルにて『看護過程』のニーズがあるのか。
日本で行われている『看護過程』は果たして受け入れられるのか。
看護系セミナーは赴任してから初めての試みであり、言い換えれば挑戦でもありました。
なぜならば、日本で取り入れられている『看護過程』とモンゴルで現在取り入れられている『看護過程』には多少のズレ(遅れ)があり、モンゴル人が“日本人と看護過程について学びたい”。
いや、
それよりも看護過程と言うものに関してそもそもニーズがあるのかも不明な点であり、当初は40人定員としていたんです。

最初は来場者人数が全く読めない状態でしたが、実際は110人もの医療職の方々が足を運んでくださり、とてもニーズの高いものだと改めて感じ、今後も必要なテーマであると確信しました。

『看護過程』はモンゴルに入ってきてから10年ほどしか経っておらず、
まだまだ浸透されていないのが現実。わが活動先バガノールでも導入して5年しか経っていない。
そのため、「患者のためのもの」であるものが、未だ「看護師のためのもの」となっており、看護師の仕事の評価基準の手段として使用されているため、患者さんに還元されていない。

しかし、セミナーの際のグループワークでは沢山の意見が飛び交い
(生憎手元に写真がないため伝わりにくいのが残念ですが(><))、
『看護計画は患者を主語にした目標を掲げるからこそ計画が生きてくる・・・』
そういった私達の講義を真摯に受け止めてくれたモンゴル人は、まだまだ向上できる可能性を秘めていると感じました。

ある意味、術を知る機会がないから「看護師のためのもの」に留まってしまっているのだと思う。今回のセミナーを通じて、実施したテーマはニーズに適していたものであり、今後も継続していく上で更に大きな成果を果たせるのではないかと考えています。

セミナー終了時点で、『是非私達の病院に来て講義をして欲しい』と言った要望が聞かれ、今回通訳を引き受けてくれた看護大学の講師も
『ならば是非私達も手伝いたい。
看護過程はこれからもっと必要になるから。』
・・・と私達のサポートも意欲的。


今後の課題は一生懸命作成した資料を今回のセミナーだけで終わらせず、
『看護過程セミナーキャラバン』と題し、看護系隊員と共に首都の病院から巡回するといった事をやっていきたいと考えています。

毎回感じる事ですが、大きな事を成し遂げるためには決して1人ではできない。
仲間が1つの目標に向かって力を合わせる事で、とても大きな力になる。

▼看護系隊員と今回セミナーを手伝っていただいた、
デーギーさん、バサー、ツェツェゲー。


みんな本当に有難うございました!
そしてこれからも頑張ろうp(^-^)q

2010年12月10日金曜日

小包

今日、とっても可愛いプレゼントがバガノールに届きました!

▼以前働いていた職場の仲間から。クリスマスカードと共に♪


▼羊の手袋☆可愛いすぎます(≧∇≦)


▼さすが看護師!!生理食塩液の空き箱に入れて送ってきてくれました(笑)


カードにはみんなの温かい言葉が。

我が活動先バガノールはとっても寒い町で有名。
今日もマイナス25度!!

ですが、そんな寒さも吹き飛んでしまうくらい、
温かい気持ちでいっぱいになりました。

日本を経って1年半。
こうして気にかけてくれる友人がいるのは、本当に有り難いことです。

ゆりっぺ、かほりん、がっき~先輩、本当にありがとう。

私はとても幸せ者です( ´ー`)ノ

2010年12月9日木曜日

2代目

モンゴルはとにかく乾燥していて、
電気もち?の私は毎日のように静電気
に見舞われ痛い思いをしています。
静電気ばかりか肌にも大きく影響。
そのため加湿器はかかせないアイテム。

去年早速『花』の形をした加湿器を購入したのですが、
あっという間に壊れてしまい、已む無く2代目を買う事に。

しかし何件回っても加湿器がない。
『あった!!』と思っても、ヨーロッパ製で驚くほど高い(@@)
ここでなかったら最後・・・と訪れた電気屋になんと手ごろな値段の加湿器があった~~ぁ!!!!

でも。。。でも。。。とにかく見た目が怖い加湿器。


『お、おじさん、これしかないの?』

『そうだね。今はこれ1つしかないなぁ。どうする?』

見た目の怖さに数分考えたが、手ごろな値段に負けて購入。

どれだけ怖いのかと言うと・・・


こっ、怖いですよね~~~!? 猪なのか牛なのか未だ不明・・・(@@)


しかも、”鼻から水蒸気がぁっ~~~!!!!" (@@)

なっ、何で鼻からなんだ!?
せめて口とかから出るようにすればいいのに(><)


ですが、我が家に来る人達は必ずこの子を見て笑ってくれます☆
しかもこの間南ゴビから来た同期は写真に収めて帰って行きました(笑)

笑いを誘うこの子。
でも、夜中に目が合うとやはり怖いです・・・。

2010年12月8日水曜日

念願の歯磨きセミナー

先月は目が回るほどの忙しさ。
殆ど首都に滞在していたため、またもや久しぶりの更新です(><)
みなさん、お陰さまで私は元気にやっておりますp(^-^)q

今日はゲル地区にある幼稚園に赴き、
主に年長さんを対象に歯磨き指導をしてきました!!

・・・というのも、
同期の幼稚園教員から『歯磨きセミナーをしたい』と
いった相談を受けた事から始まりました。

モンゴルの子供たちはとにかく虫歯が多い!!
口を開けさせれば歯の間は真っ黒・奥歯はボコボコ真っ黒な穴が開いている(><)
更には歯が殆どない子供がいたのにはビックリでした。

理由は常に口の中に飴玉が入っている環境下である事。
歯磨き粉を沢山つければ汚れが落ちると思っている事。
そして親御さんの管理のあまさ、等々・・・。

数ヶ月前、そんな状況を日本にいる歯科衛生士の友達に話したら、
”モンゴルの子供たちのために”・・・と歯垢染色液や歯ブラシを大量に送ってくれたんです。
ですがなかなか『歯磨き指導』となるものが行えずにいました。

それが今日、現地の小児歯科医師も引き連れ行える事に!!
わざわざ午前中の診療を空けてまで来てくれました。感謝☆

前日に40℃近くの熱を出しながらも、
頑張って作成した人形で先ずは劇をして子供たちを惹きける幼稚園教員Sちゃん。
(『飴が大好きなネコちゃん。虫歯になって病院に行く!』の巻)

▼ちなみに白衣を着ているのが私。うさぎのお医者さん役をしました(≧∇≦)
 

▼子供たち、真剣です( ´ー`)ノ


保健師U隊員が作成した資料を元に歯科医師が子供たちに分かりやすく説明し、
Sちゃんが作った特大歯の模型で丁寧に歯磨き指導をしてくれました。

▼力作!!                歯科医師オユーナさん
 

そして!!とうとう染色液を用いて子供たちの歯を染めていきます。

『せんせ~い!染まった~~!?見て見て~~~っ!!』と駆け寄る子供たち

▼愛くるしいとはこの事です( ´ー`)ノ
写真家に徹底してくれたPC隊員Aちゃんありがと~♪
 

 

▼『僕もどう?染まってる?』


▼医師が仕上げ磨きをしているのを横目に、模型で実践。
それを見ながら子供達も必死( ´ー`)ノ

 

唯一親御さん達が来られなかった事が残念な点ではありましたが、
幼稚園の先生に参加してもらえたので、
今後継続していけるよう関わってくれる事を祈ります。

少しでもモンゴルの子供たちの虫歯が減りますように。

2010年10月20日水曜日

キミハアヤカ

今日、いきなり見ず知らずのモンゴル人男性から電話が来た。

『君はあやか?』

『そっ、そうですけど。』

『本当なんだな?合ってるんだな?話しがあるんだ!!』


勿論私は怖くてたまらない。
相手の事を知らないのに、
相手は私の名前を知っているばかりか、携帯番号を知っていたからだ。

『あ、あの、何の話?あなた誰?』

『あや、今どこにいるんだ?』

『え?病院にいますけど。』

『じゃぁ、今すぐ行く!!』

えーーーーーーーーーーーーーーっ(@@)

怖い、怖い、怖い・・・
いきなり来て、何かされたらどうしよう!

すると数分でモンゴル人がやって来た。

『君はあやか!?』

やっぱり知らない顔・・・

『そ・・・そうですが、何の用ですか?』

『家で寝たきりの姉の胃管を交換してほしいんだ!
いつも専属の看護師にしてもらうんだけど、
今は休暇中で首都にいるって言うんだ。
そしたら彼女が『あやなら上手にやってくれるから!』と君の番号を教えてもらった!』

専属の看護師?
聞けば配属先のICUの師長さんの事だった。
まぁ、彼女なら私の事、知ってるなぁ・・・。

『胃管』とは口から食べ物を摂取できない場合、
鼻から胃まで管を通し、その管から栄養を入れる時に使用されるものです。

その『胃管』が今朝方詰まってしまったんだとか。
そのため、仕事帰りにそのお宅に訪問し、無事に胃管を交換してきました。
家族も朝から何も栄養を入れてあげられない不安が解消されホッとした様子。

ICU師長の無茶振りにはビックリしたけれど、
こういった事も活動の1つ。

例え小さな事であっても、頼ってもらえた事が嬉しい。
ちょっぴり幸せを感じた帰り道。

セミナー再開!!

やっと今日から看護技術セミナーが再開しました!
なんと半年振り!!!!!!!
今日から1週間に2回、午前・午後と分けて行う事に!!

今月のテーマは『口腔ケア』
ですが、口腔ケアの手順は看護師みんなが知っています。
でも、そんな当たり前のケアが行えていない。
だからこそ、何故患者さんの歯磨きが必要なのかを知って欲しい。

今までインフルエンザ・謎のお祭り・看護師達の夏休み等々の理由により、
全くセミナーを行う事が出来なかった。

”今日も本当に出来るのか!?”
”またもや3分前に中止!なんて事が起こり得るのではないか?”
…と不安がありましたが、
無事にやり遂げる事が出来ました。

今までは看護部長や主任に喋ってもらい、実技を自分が担当する方式でしたが、
これからは出来るだけ自分の言葉で話し、理解を得てもらおうと思っています。


ですが・・・ 久しぶりのセミナーは緊張し、上手く話せずゴテゴテのセミナーに。
数々の反省点を残してしまいました。本当に反省です・・・(><)

しかしそんな中、
歯科衛生士の友達が送ってくれた『歯垢染色液』が私を助けてくれました。

多分みなさん子供の頃にやった事があると思います。
磨いた後に歯垢染色液を垂らしてみると、あら、不思議。
まだ汚れが残ってた!!
・・・てなアイテムです。

▼かなりの人数に使えるアイテム!歯科衛生士のあけちゃんに感謝☆


みんな染色液を使った事があまりないのか、
なかなか口を開けてくれず困りましたが、
実際に歯についた汚れを見る事ができ、

『きゃぁ~!恐ろしい!!』

『うわぁ~!!嫌だぁ~!!モーハイ(汚い)!!』

『私はサエン(良い)だわ!!』

『この色のついた部分はいつ取れるの!?』

…とゴテゴテだった場がかなり和みました。

今回なぜ染色液を使ったのかと言うと、
健康な私達でも磨かなければどれだけ歯垢が残るのかを目で見るのは勿論の事、
その歯垢や細菌によって、高齢者や脳血管障害をもつ患者さんにどれだけの危険が伴うのかを知ってもらいたかったため。

口腔ケアによって誤嚥性肺炎および感染性心膜炎や血管炎を予防したりと、
それはそれは奥深いものなんですね。

だからこそ最低8時間毎に磨く。(今は4時間毎とも言われていますが)

ですがセミナーはやっただけでは意味がない。
伝えたい事をしっかり相手に理解してもらい、
今後どのように意識付け⇒継続していけるか。

その点も大きな課題だ。