実はマレーシアに行く前まで、悶々としていた私。
そんな私に職場で働いていた友人が投げかけてくれた
『本来無一物(ほんらいむいちもつ)』という『禅語』にある一言。
(『禅語』とは、禅宗における先人達の言葉です)
人間は本来、何も持たない。
汚れも罪もなく病気も苦悩も無い。
あなたの心はあなたが自分で作った何ものかに捕われていないか。
何も無いはずなのに
何故か現実には誰かが誰かを恨んでいたり、
バチが当たると思っていたり、自分は罪深いと思ったり、
何も悪い事はしていないのに世の中は自分の味方をしないと考えていたりする。
つまり「もともと何も無いのだ」と知る事だ・・・という意味だそうです。
まさに私がその状態でした。
もっと自分にはやるべき事があるのではないか?
このままでいいのか?
どこまで人に頼っていいのか?
いや、やはり自分がやるべきことなのではないか?
周囲から『もっとしっかりしろ!』と思われているのではないか。
まさに、自分で自分を妄想の世界へ追い込んでいました。
そこには何もないはずなのに。
モンゴルの地で、沢山の事をやらなければ・・・と
思い、焦り、欲張っていたのかもしれません。
そう、もともとそこには何もなかった。
『本来無一物』
この言葉がやっと自分の心に降りてきた。
マレーシア効果もあいまってか、この言葉で吹っ切れた。
生きていくのに最小限のものがあればいい。
そうすれば余分な欲に苦しまなくなる。
空の小鳥も野の花も
『明日の食べ物をどうしよう?』なんて悩まない。
いつも何か求め、一つ持つと、
次のもう一つを得ようとする人間の性(サガ)が消えたら、きっと心の平和が来る。
そんな事を思った7月1日。