2010年7月1日木曜日

本来無一物

実はマレーシアに行く前まで、悶々としていた私。

そんな私に職場で働いていた友人が投げかけてくれた

『本来無一物(ほんらいむいちもつ)』という『禅語』にある一言。

(『禅語』とは、禅宗における先人達の言葉です)

人間は本来、何も持たない。
汚れも罪もなく病気も苦悩も無い。

あなたの心はあなたが自分で作った何ものかに捕われていないか。

何も無いはずなのに
何故か現実には誰かが誰かを恨んでいたり、
バチが当たると思っていたり、自分は罪深いと思ったり、
何も悪い事はしていないのに世の中は自分の味方をしないと考えていたりする。

つまり「もともと何も無いのだ」と知る事だ・・・という意味だそうです。

まさに私がその状態でした。

もっと自分にはやるべき事があるのではないか?

このままでいいのか?

どこまで人に頼っていいのか?

いや、やはり自分がやるべきことなのではないか?

周囲から『もっとしっかりしろ!』と思われているのではないか。

まさに、自分で自分を妄想の世界へ追い込んでいました。

そこには何もないはずなのに。

モンゴルの地で、沢山の事をやらなければ・・・と

思い、焦り、欲張っていたのかもしれません。

そう、もともとそこには何もなかった。

『本来無一物』

この言葉がやっと自分の心に降りてきた。

マレーシア効果もあいまってか、この言葉で吹っ切れた。

生きていくのに最小限のものがあればいい。

そうすれば余分な欲に苦しまなくなる。

空の小鳥も野の花も

『明日の食べ物をどうしよう?』なんて悩まない。

いつも何か求め、一つ持つと、

次のもう一つを得ようとする人間の性(サガ)が消えたら、きっと心の平和が来る。

そんな事を思った71日。

2 件のコメント:

  1. あやさん

    禅の「本来無一物」という言葉。これこそ人間の本質を
    表す言葉です。
    人はみな、裸で生まれてきます。つまり何ももっていない。まさに無一物。

    しかし、反対側からみれば、何ももっていないからこそ
    無限の可能性を秘めていると言えるわけです。

    何もない存在だからこそ、そこには無尽蔵の可能性があ
    る。それが「無一物中無尽蔵」という言葉の意味です。

    どんな人にも、必ず可能性が秘められている。可能性の
    ない人などいない。要はその可能性をどう引き出すかと
    いうことです。

    今、行き詰っている人、あるいは自身をなくしている人
    もしそういう人がいるなら、もっと自分自身を信じてあ
    げることです。

    あなたの能力はまだ十分に発揮されてはいない。もっと
    能力を引き出す努力をすれば、きっと道は開けてくる。
    あなたのもっている可能性を信じることです。

    人生とはすべてがうまくいくものではありません。努力
    が報われないこともあるでしょう。
    それでも、前を向いて頑張ってみる。
    前に進むことを恐れないで下さい。

    以上、「禅:シンプル生活のすすめ」より
        曹洞宗徳雄山建功寺住職 枡野俊明

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  2. >太陽さん
    素敵なお言葉、ありがとうございます!

    努力をしていれば、
    遅かれ早かれ自ずと結果は見えてくる。
    悩むからこそ人生はおもしろく、味の深いものになる。
    そして人間は成長する。

    いつまでも成長し続ける人間でありたいと思います。

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