2010年12月27日月曜日

モンゴルの床ずれ事情~続編~

先日書いた『モンゴル床ずれ事情』

なんと!!あんなに硬かった皮膚が柔らかくなった!!!
・・・と言っても仙骨部の褥瘡だけでしたが。

早速外科外来の看護師から外科専用のハサミを借りて、
壊死した皮膚を除去してきました!

▼前回の仙骨部             ▼今回除去できた仙骨部
 

医療職ではない方、衝撃的な写真ですいません。
ですが人間、寝たきりで適切なケアが受けられないと簡単にこのような状態に陥ります。
なのでこのような状態にならないために『予防』が絶対必要なのです。

やっと壊死部分が除去できた!・・・と思いきや、新たに褥瘡が増えていました(@@)
これほど悲しい事はありません。

▼右足の褥瘡


▼左膝の褥瘡


栄養状態が悪いのもあるけれど、やはり家族のケアが問題。
何度も分かりやすくケアの説明をしたのですが。
本来なら、毎日、いや2日置きにでも家族病院の看護師と訪問できるのがベストなのですが、なかなか毎日とはいきません。

家族病院の看護師達はとにかく仕事量が多い。
診療に来た患者さんのカルテさばきからはじまり、
医師の診療介助及び点滴・注射。
さらには自分の受け持っている在宅患者・新生児の訪問。

中央病院でもそうですが、『看護師は注射・点滴をする人』と言った位置づけ。
入院患者のケアは殆ど付き添い家族にまかせっきりな時が多々あります。
なので退院後も家族まかせのケースが多い。
だからこういった褥瘡患者が出てきてしまうのです。

在宅は在宅で独立した部門があれば、
もっと手の行き届いた医療を提供できるのに。
(まぁ、そのためのシステム設立、管理の徹底及び技術移転等も必須になりますが。)

モンゴル医療事情。
家にこそ沢山の問題が埋もれていると思わずにはいられません。

2010年12月26日日曜日

初☆執筆 《第2・3弾》

10月にブログで書いた『初☆執筆

その11月号・12月号がモンゴルに届きました!!

▼11月号はなんとページをめくった途端、
『モンゴルの医療事情』の見開きページが☆(≧∇≦)


ビックリしたけれど、と~っても嬉しかったヽ(´▽`)/
早速産科の師長に見せたら、『あら~!素敵!』と喜んでいました。

更には12月号。

▼東京・練馬で行ったハワリンバヤルの記事


▼募金活動に快く協力してくださった方達の写真が掲載!!


この執筆は、みなさんの協力があったからこそ書けた記事です。
感謝できる人達に恵まれ、大変実りある2010年を送ることが出来ました。
本当に、本当にありがとうございます。

2011年、みなさんに素敵な風が吹きますようにヽ(´▽`)/

ODAメールマガジン(198号)

今月22日、外務省HP “ODAメールマガジン” 私の執筆した『ハワリンバヤル』の記事が掲載されました!!

本来であれば今年の9月、
JICAが毎月発刊している『クロスロード』に掲載されるはずだったのですが、

掲載間近で『やはり載せられません』とう奇奇怪怪な返答が本部から来まして・・・。

文章を書くのが不得手な私。
しかし、みんなでやり遂げた事を是非記事にしたい!!
そんな思いを汲み取ってくれたJICAクロスロード編集本部。

何日も何日も書いては消して、消しては書いて。
血を吐く思いで書いた原稿をたった一言でなかった事にするつもりかぁっ!?

普段は穏やかな私でも、この時はいかんせん怒りがおさまらなかった。

理由が理由だったのもあるが、

何よりもハワリンバヤルで協力してくれた隊員との連名で発信(=掲載)したかった。

だって一人では決して出来なかったから。

しかしそんな私の気持ちを汲んでくださった、O調整員。
O調整員の計らいで今回ウェブ上で掲載されることにヽ(´▽`)/


実行委員のみんな!

みんなの名前が掲載されたよ!!


私、涙がでた。

2010年12月25日土曜日

『応急処置セミナー』 in スフバートル

先週末、同期(体育隊員)がいるスフバートルへ行ってきました!!
目的は体育教師達に正しい『応急処置』を知ってもらうため。

なぜならば、モンゴルの応急処置は不思議な事だらけ。
例えば鼻血が出たらみなさんどうしますか?

先ずは小鼻をしっかりとつまんで止血しますよね?

モンゴルは面白い。

例えば右鼻から鼻血が出たら、反対側の左手を上に挙げて手を振るんです。

一体なんの根拠があるんだ!?(@@)

突き指の時もひたすらひっぱる。
これはつき指の際の禁忌処置。

このように間違った応急処置を目の当たりにした同期のAちゃんの依頼により、
出張セミナーを開催したのです。

集まったのは同職のNちゃん、理学療法士のUさん。
そして同期のAちゃん4人とでセミナーを行いました。

▼演劇をしながら、『この処置はあってる?』と体育教師達に問いかけます。


『あってると思った人は立ってくださ~い!!』

▼『あっ、あってるかなぁ・・・?』『あってるだろ~!!』とみんな周りの様子を伺ってます( ´ー`)ノ
 

正解を当て、満面の笑みで喜んでいるモンゴル人を撮影しようとしたところ、
残念な事にデジカメの充電切れ・・・。
つめが甘くてすいません(><)

ですが最後まで笑顔交じりで行う事ができたセミナー。

PCが動かない!!・・・というトラブルもありましたが、
モンゴル歴1年半。
そんなトラブルにも動じずに進行できた事が凄かった(笑)

みんなで何かをやるって本当に素敵な事。
しかも今回は他職種隊員同士っていうのがミソ。
まさに『ザ・協力隊!』って感じでした( ´ー`)ノ

同期隊員Aちゃんが活動先の人達に歩み寄り、絶え間ない努力をしている事。
だからこそ意見を取り入れようとセミナーに多くの体育教師達が集った。
Aちゃんがみんなから信頼され・愛されているという事が知れたセミナーでもありました。

各任地でみんな頑張っている。
私もみんなに胸を張れるよう、残り半年踏ん張らな。

2010年12月18日土曜日

懐かしい1枚

年末掃除の際に出てきたこの1枚の紙。
JICA二本松訓練所で大変お世話になった、
モンゴル語教師・ナラン先生が書いてくれたものです。(勿論全てオールモンゴル語)

▼一人一人の語学試験のコメントを記載したもの。
(確かそうだったような?)



もらった時は殆ど意味が分からなかったのですが、
モンゴルに来て1年半。

全部、意味が分かる!!

これって凄い事だと思いました。

『モンゴルに行くこと、二本松に来た時のことを彼女と話しました。
そしてバガノールに行ってからやりたい仕事など。
モンゴル語もよく出来て、分かりやすく話す事が出来ていました。
中でも彼女の生まれ故郷についての話がとても面白かった。

モンゴルに行った際は、看護師たちに清潔・不潔の取り扱いをはじめ、
自分が知りえる全ての看護技術・知識を提供したいと思っている・・・との事でした。
これに関してはとても必要なことだと思います。
感染症が多いとも言われていることから、その感染を少しでも防ぐべく、
地域住民にもセミナーが開けたら・・・という彼女の考えはとても正しい意見だと思います。
とりわけ医療は専門用語が多く難しいと不安に思っているようですが、
彼女はちゃんと理解しているし、発音も綺麗。

このクラスの子たちはみんなモンゴル語が上手でよく勉強しています。
私はとても嬉しく思っています。

                     ナランツェツェグ   』

ここまで来れたのは、ナラン先生の指導があったからこそ。

残りの任期、あと半年。
引き続きモンゴル語の勉強を怠らないようにしたいと思います。

毎日最低30分は単語の勉強するぞ!!

そして今日からスフバートルという
モンゴルとロシアの国境に位置する街へ行ってきます。
そこで活動している同期隊員(体育教師Aちゃん)と共に
『応急処置』セミナーを行う予定です。

初めてのスフバートル。楽しみながら頑張ってきますヽ(´▽`)/

2010年12月17日金曜日

世界の笑顔のために in バガノール

去年から申請していた8台の『障害児専用の車椅子』。
先月やっと、やっとバガノールに届きました!!!

バガノールには現在障害児が71人います。
その中でも車椅子が必要な児は26人。
しかし今まで出会った障害児はたったの10人。
モンゴルに来て1年半が経ちますが、
まだまだ知らない現実があることを感じずにはいられません。

そんな中、車椅子がない事で外にも満足に出ることができず、
自宅で寝たきりの生活を強いられている障害児達。
リハビリが必要なのに、治療が受けられずどんどん身体は拘縮してゆく。
そんな子供たちに外の世界を知って欲しい。
バガノールの地域住民の障害への理解を少しでも促進させたい。

そんな矢先、去年『世界の笑顔のために』プログラムが舞い込んできました。
このプログラムは日本で支えてくれる提供者の善意によって成り立っており、
『学校教材』『スポーツ用品』『手芸用品』『車椅子等の福祉関連用具』等を
発展途上国のためにと無償で提供していただけるもの。

ですが誰かれ構わず提供していただけるものではなく、
『提供者への申請⇒要望調査票の記載⇒採択』の一連の流れを通らないといけないものなんです。

ですがその申請が去年、幸いにも採択されたんですヽ(´▽`)/

バガノールに到着後『譲渡』という形にはせず、『貸し出し』形式としました。
なぜならば現在車椅子が必要な児は26人。8台では到底足りません。
子供の成長に合わせて、適した時期に・適した車椅子が平等に使えるようにしたかったから。

早速、家族病院の院長と共に個々にあった車椅子を貸し出す巡回作業をしてきました。

▼いい笑顔☆
 

 

巡回の際、

『車椅子が来たことはとても喜ばしいこと。本当に感謝します。』

『今まで座る事も出来ず、外にも満足に連れて行けなかった。
だけど今日からこの車椅子があれば座る事も出来るし、
外の世界を見せてあげる事が出来る。本当に有難うございます。』

・・・という感謝の言葉を頂き、笑顔が絶えませんでした。

後の管理としては、
家族病院院長及び社会福祉部部長に担ってもらう事になり、
車椅子には通し番号をつけ、『貸し出し名簿』を作成。

家族病院院長はその貸し出し名簿を元に、6ヵ月毎の監査。
社会福祉部部長は1年毎に監査するといった規定を設け、
私達が帰国してからもきちんと彼らが管理できるようサポートしてもらうように関わりました。

これからも沢山の笑顔が増えますように。

提供していただいた特定非営利活動法人『ニンジン』代表 槙 ひさ恵 様。
首都からの運搬にご尽力いただきましたJICA事務所の方々。

本当に有難うございました!!

2010年12月16日木曜日

素敵な来蒙者

昨日、素敵な方達と夕食をご一緒することになりました!!

▼オシャレよりも防寒優先で来てしまった私。
モコモコズボンで恥ずかしいですが・・・(><)


その方は東北大学大学院医学系研究科・微生物学分野で活躍されていらっしゃいます、押谷 仁 先生。
そしてその大学院の院生である なおさん。
更にその押谷先生のカウンターパートでもある、
首都の国際インフルエンザセンターでご活躍のブルマーさん。
(真中の男性が押谷先生。一番左がなおさん。1番右がブルマーさん。)

押谷先生との出会いは去年の今時期。
ふと入ったレストランで偶然お会いしたのがきっかけでした。

押谷先生は『SARSと闘った医師』として、
世界保健機関(WHO)西太平洋事務所の感染症監視・対応地域アドバイザーとして、2003年に大流行したSARSの封じ込めの最前線に立ったウィルス学の専門家であり、微生物学分野ではとっても有名な方なのです。

保健師U隊員は、
『物凄い有名な方。雲の上の存在!!そんな方とお会いできるだなんて嬉しい!!』・・・と大興奮でした( ´ー`)ノ

実はそれだけ有名な方だと知ったのは最近になってから。
来蒙まで数回押谷先生とメールのやり取りをさせていただいていたのですが、
何も知らなかった私はフランクなメールを送ってしまっていて。

無知とは恐ろしい。
感染症病棟で働いていたのにも関わらず・・・。
恥ずかしさと同時に反省です(><)
もう少し視野を広げて情報を得ていかないといけませんね。

モンゴルは去年、新インフルエンザで多くの人達が命を落としました。
そこで、モンゴルにおいてのインフルエンザ感染状況を調査すべく、
先生達は数回モンゴルを訪れ研究しています。

実は先生、つい最近まで仕事で気温30度のフィリピンにいらしたのだとか。
モンゴルは現在-30度。
この60度差は驚きです。

世界を飛び回り、お疲れにも関わらず終始笑顔だった押谷先生、なおさん、ブルマーさん。

またお会いできることを楽しみにしています!

素敵な出会いに感謝☆